徳島の父が頑張っております。
82歳のトライアスロン選手が徳島市にいる。戦争を経験し、仕事で体をこわし、「このまま死んだらつまらんな」と走り始めたのがきっかけだ。初レースから20年余り。気がつくと、傘寿を迎えた「鉄人」は日本に1人だけだった。
徳島市の社会保険労務士、伊賀正美さん(82)の一日は未明のランニングから始まる。1時間で10キロ。この間、足が地面をける音に耳を澄ませ、体の状態をチェックする。「音がいつもと違う日はどこか悪い。無理はしない」
トライアスロンはスイム(1・5キロ)、バイク(40キロ)、ラン(10キロ)の計51・5キロ。60歳で初出場してから、国内外のレースで30回以上完走している。12回連続出場となった今年の「ひわさうみがめトライアスロン」(美波町)は4時間16分でゴール。日本トライアスロン連合によると、記録が残る国内の公式大会で完走した80代以上の選手は伊賀さんだけだという。
スポーツと無縁だった人生に転機が訪れたのは、50歳になってからだ。公務員として勤めた職場はストレスが多く、胃腸をこわした。医者にもらう薬は効かず、キャベツをすりつぶした汁も試したが、だめだった。
痛みに耐えながら思い出したのは戦争の記憶だ。旧制中学卒業を控えた1945年2月、愛知の軍用機工場に学徒動員された。偵察機を整備する毎日。ある朝、大規模な爆撃に遭い、工場近くの土手のくぼ地で必死に身を隠した。「あのつらさに比べたら」。そんな思いがこみ上げてきた。
六つ上の兄にマラソンを勧められたのは、その頃だ。みるみる体調は良くなったが、1年でひざを痛めた。リハビリのつもりで競技用自転車を始め、顔が風を切っていく感覚を知った。仲間に誘われ、トライアスロンに挑戦しようと決めた。金づちだったが、1カ月プールに通い、クロールで25メートル泳げるようになった。
「この年になっても若い人たちと同じ舞台で楽しめる。それに気がついたのが幸せのもと」。今年、自転車で坂道を楽に上る技術をマスターした。体を起こし、ハンドルを手で引っ張るようにしながら強く踏み込むと、どんどん進む。「あんなに苦しかったのに、今は坂が見えてくるとうれしくなる」。体力の限界は、まだまだ見えない。
(水沢健一)- 2011.10.12 Wednesday
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